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東京高等裁判所 昭和38年(う)2235号 判決 1964年6月30日

控訴人 原審検察官

被告人 太田浪雄

弁護人 江口高次郎

検察官 平岡俊将

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金壱万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は東京高等検察庁検事平岡俊将提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

原審において取り調べた各証拠並びに当審における事実取調の結果を総合すると、

一、被告人は、自動車運転者であつて、三矢観光自動車株式会社牛久町営業所に勤務し、後記茨城県稲敷郡茎崎村大字小茎二百番地先県道を含む路線を定期に運行する同会社の事業用大型乗合自動車を運転する業務に従事していた者であること、

二、被告人は、昭和三十七年十二月二十四日午前九時十分頃同会社の事業用大型乗合自動車茨二あ一五五二号(車巾二米四十六糎、車長八米三十五糎-以下「本件自動車」と称する)に車掌岡田トキ子と共に乗務し、乗客約三十名を載せ、牛久沼を東西に貫通する茨城県稲敷郡茎崎村大字小茎二百番地先県道上を、沼の西岸の同村下岩崎方面から沼の東岸の同郡牛久町方面に向つて運転進行中右県道に架設された茎崎橋の手前(橋の西端より西方)約二十四米の地点において、前方(東方)約十五米の右県道上に、大橋勇(当時十三才)外四名の中学生がいずれも自転車に乗つて横に並び本件自動車と同方向に進行しているのを認め、右茎崎橋を渡り終つた先きの県道上で同人らを追い越すべく、その後を追つて東進し、茎崎橋を渡り終り、同人らの背後約五米余りの地点(橋の東端より東方約四米余りの地点)において警音器を鳴らして同人らに注意を促がしたところ、大橋勇外一名は右側、他の三名は左側にそれぞれ避譲したので、無事に同人らの間を通り抜けてこれを追い越すことができるものと信じ、右側は自からバツクミラー(後写鏡)によつて警戒し、左側は車掌岡田トキ子を警戒せしめたほかには更に何ら特段の措置を講ずることなく、時速約五粁でそのまま進行を継続して同人らの間(大橋勇の左側)を通り抜け追越しにかかつたこと、

三、大橋勇は、既に前記茎崎橋の手前(橋の西端より西方)約四米余りの地点において、後方(西方)から本件自動車が自己と同方向に進行し接近して来ることを知りながら、これを意に介せず、外四名の中学生と共にいずれも自転車に乗つて横に並び、東進して茎崎橋を渡り、これを渡り終つて間もなく背後に本件自動車の警音器の鳴る音を聞き、自動車が身近に迫つたことに驚き、俄かに危険を感じ、狼狽の余り急に加速し県道の右側端へ走り寄つたため、自転車の前輪が右斜め前方に出過ぎて路肩のコンクリート土留めにかかつた折しも、本件自動車が自己の直ぐ左脇を通過する気配を感じ、狼狽の極夢中になつてブレーキを掛け急停止しようとしたためその反動で自転車の前輪が路肩の土留めから道路の右外側へ滑り落ち、その結果自転車諸共に左方の道路上に横転し、その際左肩ないし左肘附近に本件自動車の右後車輪附近が接近接触し、因つて加療日数約六週間を要するものと認められる左上腕骨小頭部骨折兼左上腕部。左前腕部挫傷を被むつたこと、

四、本件事故発生の現場は、前記茎崎橋の東端より東方約二十五米の県道右側端(左、右の区別は本件自動車の進行方向に向つていう、以下同趣旨)に近い地点であるが、道路の両側端は傾斜状をなして牛久沼の水際に接し、本件事故発生当時においては、現場一帯の道路の幅員は右側路肩のコンクリート土留め(幅約二十糎)を含めて約四米七十糎であり、路面は砂利敷のまま未舗装で、たまたま茎崎橋改修工事の終了直後であつたため凹凸が相当にひどく、石塊や木片が散乱し、路面状態は概して不良であつたこと、

が認められる。

よつて按ずるに、本件自動車が右現場を通過する際その車体側方に存し得べき余剰空間(道路の幅員と車巾の差)は、左、右合計約二米二十四糎、片側平均約一米十二糎であつて、それ自体数字的には必らずしも狭隘に過ぎるものではなく、側方に避譲している自転車塔乗者に接触する危険があるとはいえないが、現場の地形、路面の状態、自動車運転者の措置、自転車搭乗者の挙措等具体的状況の如何によつては、それでもなお相接触する危険のあることを予期しなければならない場合のあることは容易に首肯し得べきところ、

(1)  前叙認定の如く、現場一帯の道路は、路面が砂利敷のまま未舗装で、凹凸が相当にひどく、路面状態が概して不良であつたうえ、本件自動車は大型乗合自動車で、当時乗客約三十名を塔載していたのであるから、かかる場合本件自動車は予定のコースを正確に直進しないで、左右に移動し且つ動揺しながら進行せざるを得ざるべく、従つて、その車体の左右各側に存する余剰空間は時により片側の平均値約一米十二糎を下廻るため、通行車馬を追い越すにあたり接触の危険が皆無であつたとはいえず、

(2)  更に前叙認定の如く、大橋勇らは本件自動車の進路に背を向け自動車の進行接近して来ることを意に介せず、その進路前方を自転車に乗つて進行していたのであるから、その背後約五米余りの近距離に迫つて警音器を鳴らせば、同人らはその音を聞いて初めて自動車が身近に迫つたことを知り、道路の側方へ避譲するであろうが、現場の地形は道路の両側が直ちに沼になつているため、思慮未だ定まらない年少の同人らとしては、急遽狼狽して進退の措置を誤まり不測の行動に出る虞れがあり、その挙措如何によつては、自転車諸共にぐらつくか若しくは最悪の場合道路上に転倒するなどによつて接触の危険があることは十分に予見されるから、前記の車巾及び車長を有する大型乗合自動車を運転して、両側を沼で挾まれ、路面状態が概して不良な前記幅員の道路を進行し、その左右両側に自転車に乗つたまま避譲している少年達の間を通り抜けてこれを追い越すに当つては、叙上の危険に備え、一旦停車して同人らを道路の一方の側にまとめるか若しくは接触の虞れのない安全な場所に移してから通過するか又はバツクミラーのみに頼ることなく、運転席の窓から顔を出すなり合図をするなりして、自動車の側方、殊に後部について、自動車の通過地点と余剰空間との関係、同人らの挙動姿勢等に注意し、自動車の車体全部が安全に追越しを完了することができるかどうかを確認しながら通過する等機宜に応じ事故の発生を未然に防止するに適当な措置を講ずべき業務上の注意義務があると認めるのが相当である。

然るに被告人は前叙認定の如く、何らかかる特段の措置を講ずることなく大橋勇の左側を通過して追越しにかかつたのであるから、叙上注意義務を懈怠したものと認めざるを得ず、同人が転倒して負傷したのは、結局被告人が叙上注意義務に違反して追越しにかかつたため、大橋において狼狽し進退の措置を誤まつた結果であると認められるから、同人の前示受傷については被告人に業務上過失の責任があるといわなければならない。なお被告人が弁疏する如く、本件自動車が通勤時の定期便で定時運行を確保しなければならなかつたとか、平素中学生達は被告人ら自動車運転者の注意を聞き入れなかつたというが如き事由は、単に情状として考慮さるべきものに止まり、自動車運転者としての叙上過失責任に消長を及ぼすものではない。

さすれば、原判決が被告人には本件事故につき過失がないと認定して無罪の言渡をしたのは、事実を誤認したものであつて、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免がれない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三百八十二条、第三百九十七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書により当裁判所において次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転者であつて、三矢観光自動車株式会社に雇われ、大型乗合自動車を運転する業務に従事する者であるところ、昭和三十七年十二月二十四日午前九時十分頃同会社の大型乗合自動車茨二あ一五五二号(車巾二米四十六糎、車長八米三十五糎―以下「本件自動車」と称する)に車掌岡田トキ子と共に乗務し、乗客約三十名を載せ、牛久沼を東西に貫通する茨城県稲敷郡茎崎村大字小茎二百番地先県道上を、沼の西岸の同村下岩崎方面から沼の東岸の同郡父久町方面に向つて運転進行中、右県道に架設された茎崎橋の手前(橋の西端より西方)約二十四米の地点において、前方(東方)約十五米の右県道上に、大橋勇(当時十三才)外四名の中学生がいずれも自転車に乗つて横に並び本件自動車と同方向に進行しているのを認め、右茎崎橋を渡り終つた先きの県道上で同人らを追い越すべく、その後を追つて東進し、茎崎橋を渡り終り、同人らの背後約五米余りの地点(橋の東端より東方約四米余りの地点)において警音器を鳴らして同人らに注意を促がしたところ、大橋勇外一名は右側、他の三名は左側にそれぞれ避譲したので、同人らの間(大橋勇の左側)を通り抜けようとして追越しにかかつたのであるが、同所は道路の両側端が傾斜状をなして牛久沼の水際に接し、同所一帯の道路は砂利敷のままの末舗装道路であつて、たまたま茎崎橋改修工事の終了直後であつたため路面には凹凸が相当にひどく、石塊や木片が散乱し、路面状態は概して不良であり、本件自動車が同所を通過する際その車体側方に存し得べき余剰空間(道路の幅員約四米七十糎と車巾二米四十六糎の差)は左、右合計約二米二十四糎、片側平均約一米十二糎であつて、それ自体数字的には必らずしも狭隘に過ぎるものではなく、側方に避譲した大橋勇らに接触する危険があるとはいえないが、右の如く、現場一帯の道路は路面状態が概して不良であつたうえ、本件自動車は大型乗合自動車で、当時乗客約三十名を塔載していたから、かかる場合本件自動車は予定のコースを正確に直進しないで、左右に移動し且つ動揺しながら進行せざるを得ざるべく、従つて、その車体の左右各側に存する余剰空間は時により片側の平均値約一米十二糎を下廻るため、接触の危険が皆無であつたとはいえず、更に大橋勇らは本件自動車の進路に背を向け自動車の進行接近して来ることを意に介せず、その進路前方を自転車に乗つて進行していたから、その背後約五米余りの近距離に迫つて警音器を鳴らせば、同人らはその音を聞いて初めて自動車が身近に迫つたことを知り、道路の側方へ避譲するであろうが、現場の地形は道路の両側が直ちに沼になつているため、思慮未だ定まらない少年のこと故急遽狼狽して進退の措置を誤まり不測の行動に出る虞れがあり、その挙措如何によつては自転車諸共にぐらつくか若しくは最悪の場合道路上に転倒するなどによつて、接触の危険があることは十分に予見されるところであるから、斯る状況下において追越しをするに当つては、叙上の危険に備え、一旦停車して大橋勇らを道路の一方の側にまとめるか若しくは接触の虞れのない安全な場所に移してから通過するか又は単にバツクミラーのみに頼ることなく、運転席の窓から顔を出すなり合図をするなりして、自動車の側方、殊に後部について、自動車の通過地点と余剰空間との関係、同人らの挙動姿勢等に注意し、自動車の車体全部が安全に追越しを完了することができるかどうかを確認しながら通過する等機宜に応じ事故の発生を未然に防止するに適当な措置を講ずべき業務上の注意義務があるに拘らず、被告人は無事に同人らの間を通り抜けてこれを追い越すことができるものと軽信し、右注意義務を懈怠し、単に右側を自らバツクミラーによつて警戒し、左側を車掌岡田トキ子をして警戒せしめたほかには、更に何ら叙上特段の措置を講ずることなく、時速約五粁でそのまま進行を継続して同人らの間(大橋勇の左側)を通り抜け追越しにかかつたため、大橋勇をして急遽狼狽の挙句進退の措置を誤まらしめ、自転車諸共に道路上に横転せしめ、そ際本件自動車の右後車輪附近を同人の左肩ないし左肘附近に接触させ、因つて同人に対し加療日数約六週間を要するものと認められる左上腕骨小頭部骨折兼左上腕部、左前腕部挫傷を被らしめたものである。

<証拠説明省略>

法律に照らすと、被告人の判示所為は刑法第二百十一条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に該当するから、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内において被告人を罰金壱万円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法第十八条を適用し金五百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置すべく、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文によりその全部を被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 坂間孝司 判事 栗田正 判事 有路不二男)

原審検察官の控訴趣意

原判決は被告人は自動車の運転業務に従事する者なるところ昭和三十七年十二月二十四日午前九時十分頃大型乗合バスを運転し稲敷郡茎崎村大字小茎二〇〇番地先県道を同村下岩崎方面より牛久町方面に向け時速約五粁で進行中前方約十三米附近を大橋勇外四名の中学生が自転車に乗つて横に並び同方向に進行して居るを認め警音器を吹鳴したところ同人等が右へ二名、左へ三名に分れたのでその中間を進行しようとしたのであるが同所は巾員も比較的狭く右両者の間に余裕も余りなかつたのであるから更に合図をなして完全に避譲させ若しくは左右両者の態度姿勢に留意し安全を見極め進行する等危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず不注意にも之を怠り漫然同一速度のまま進行したため右後車輪附近を右側の大橋勇の左肘辺りに接触転倒させ因つて同人に対し約六週間の治療を要する左上腕小頭骨折等の傷害を負わしたものである。

との公訴事実に対して本件事故に対し被告人には過失がなかつたと認定し無罪を言渡した。

然しながら原判決は次の理由に述べるごとく事実の認定を誤つたものであつてその事実誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄されるべきものと思料する。

第一、先ず本件控訴の理由を述べるに先立ち原判決が被告人には過失がなかつたとして無罪を言渡した理由の要旨をみるに

(一) 公訴事実は「右後車輪附近を右側の大橋勇の左肘辺りに接触転倒させた。」とあるが当裁判所の認定した事実は「大橋が自ら転倒してバスの車体に接触した。」のであり被告人の過失の存否の存在に重大なる差異がある。

(二) 大橋が自ら転倒したことは運転者たる被告人にとつては突発的事柄に属し通常その結果を予見することが出来ないものであり、本件の場合前もつて大橋が転倒するかも知れないと云う特別な事情としてその危険な状況は認められず又被告人の追越しの際の安全の確認が運転者として不相当若しくは不充分であつたと認められる事情も見受けられず、更に大橋が転倒してバスに接触する際被告人のとつた措置についてもその能力に応じ特に不適切とされるものは存しない。

現場は路面も極端な凹凸もなく比較的平坦で被告人運転のバス車体両脇には尚左右約一米宛の間隔が存することが明らかとされ、被告人は時速五粁で徐行していること、五、五米距てて警音器を吹鳴して追越を警告していること、左側は車掌岡田に注視させ右側は被告人自ら注意して進行したこと、大橋転倒の様子を認めるや直ちに急停車の措置をとつていることにより被告人には本件事故について過失を認める根拠は存在しない。

と云うに帰するものと思料する。

第二、然しながら前記第一の(一)の点については「被害者大橋が自ら転倒してバスに接触した。」との原判決の認定は止むを得ないものと考えるが(大橋の証言記録四二丁及同人に対する検察官調書記録六九丁)

斯くの如く認定するとしてもそのことは本件の場合被告人の過失の存否には影響がなく只過失の軽重に若干の差異を生ずる事情に過ぎないものと思料され、又前記第一の(二)の点については本件の場合具体的な道路の状況被告人運転のバスの車体、被害者乗用の自転車とその避譲の状況等からして被告人の追越は元々無謀であり、被害者が転倒するかも知れないと云う危険は当然予見されるべき事項に属し、原判決の云う「大橋が自ら転倒したことは運転者たる被告人にとつては突発的事柄であり前もつて大橋が転倒するかも知れないという特別な危険な状況はなかつた。」との認定は事実の誤認も甚しいと思料する。

すなわち

(一) 本件現場の状況は、茨城県稲敷郡茎崎村大字小茎二〇〇番地先の県道で被告人運転のバス進路に向い右側(以下右左は同趣旨)道路下一、三米には牛久沼が迫つており一般に勾配曲折のない直線道路で前後の見透はよいが当時は橋改修工事後で路面には石ころ木片が散在しておる状態の所謂悪路で、巾員は僅かに五米であり右側路肩はコンクリートを打ち道崩れを防いであつた。(検証調書記録三三丁乃至三五丁)

(二) 被告人運転の大型乗合バスは、牛久森谷間の定期便でその車体は原判決摘示の通り横二、四米縦八、三米あり、車掌岡田トキ子が同乗し乗客約三十名を乗せ被告人は道路中央稍右寄り即ち右側に約〇、八米、左側に約一、二米の間隔の地点を時速約五粁の低速度で進行していたことが認められる。尤も原判決は本件バスの左右に尚約一米の間隔があつたと説示しているが事故直後司法警察員の作成した実況見分調書によれば右側に約〇、八米左側に約一、二米の間隔があつたことが認められる(被告人供述記録一八丁証人岡田トキ子証言記録五九丁乃至六一丁)

(三) 被害者乗用の自転車とその避譲状況について見ると被告人は進路前方の路上を横に並び自転車で同一方向に進行していた被害者大橋外四名の中学生の後方十五米に迫つて追越にかかり約五、五米に接近した地点で警音器を吹鳴したため大橋等は慌てて左右に岐れて避譲した、即ち大橋勇と外一名は右側に大橋輝夫と外二名は左側にと夫々岐れて避けたが道路の巾員は僅かに五米であり右側に〇、八米左側に約一、二米の余地しかなく、同人等は何れも下車することなくその狭い余地を時速五粁以下の殆ど停止に近い速度で前進を続けながら避譲したのであるが被害者大橋勇乗用の自転車は二六吋の普通車でハンドル左右の巾は〇、六米あり且つ大橋は当時十三才で小柄な方であるから自転車に乗つたまま両足を地面につけて停止することは不可能な状態であつた

(四) 被告人のとつた追越方法の危険性について検討すれば、被告人が前記大橋等の避譲した中間を時速五粁で追越そうとしたことは原判決摘示の通りであり、斯る状況においてその中間を大型バスを運転して追越すことは極めて危険であると謂わねばならない。

何んとなれば右側は被害者大橋乗用の自転車のハンドルだけで〇、六米あり殆どバスに接触する状況であるが自転車を停止に近い速度で運転するときは反つて極めて不安定である上に左側に接近した大型バスの通過を意識すればする程ますます不安を増し転倒することは経験則上決して予見出来ないことではないのであつて、本件の場合被害者大橋はバスとの接触を避けんとしてハンドルを出来るだけ右に切つたがそれでも危険を感じ停車すべくブレーキをかけた際前輪が路肩の道崩れを防ぐためのコンクリートの外側にすべつて左側に倒れかかりバスに接触転倒して受傷したものであつてこの事態は被告人の道路と当該車輛の状況を無視した無謀なる追越しにより生じたものと云うべきである。

本件の如き大型乗合バスの運転者は、その車体が大きく多数の乗客を輸送するのであるからその安全を慮り特に道路の広狭、道路上の状況を考え他車輛とのすれ違い又は追越しに当つては特段の注意をなすべきであつて、苟くもその運転によつて他人に不測の危害を及ぼすことのないよう交通の安全を図るため常に普通自動車以上に特別に慎重なる注意をしなければならないことは言を俟たないところである。

本件被告人の運転したバスは前記の如く車体が巨大で現に三十人の乗客があり直線道路で見透しはよいと雖も路面は悪く道巾は極めて狭く僅かに五米にすぎず車体の巾で路面の半ばを占める状況であり、然も当時自転車で進行中の十三才程度の中学生五名が右側に二名、左側に三名と岐れて避譲し、しかも下車することなくそのまま進行している場合においてはその中間を追越すとき左右両側共に狭いため避譲しながら進行している中学生が操縦の不安定とバスの接近通過のため転倒する虞のあることは十分に予測せられるところであるから一時追越を見合せ更に合図又は警告をして右側に避譲した大橋らを左側に避譲させて右側に余地を作り右側追越の原則に従うか或は大橋等をして下車退避させる等何らの危険なき状況に至つたことを十分確認して後、始めて進行するのが大型バスを運転する被告人の本件の如き場合において特に守るべき注意義務であると云うべきであつて、かかる義務遂行に出ることなく只単に時速五粁で徐行し、五、五米の地点で警音器を吹鳴して追越を警告し、左側を車掌によつて、右側を被告人自ら各自注意して進行しただけでは被告人は大型バスの運転者としてとるべき業務上の十分な注意義務を尽さなかつたものと謂わざるを得ない。

尤も被害者大橋等が右側に避譲したことは適当ではなく停車した瞬間前輪が路肩のコンクリートの外側にすべり左側に倒れたことは同人の過失も本件事故にもちろん加わつているものと認められるがそのことによつて本件の場合直ちに被告人の前記大型バス運転者としての業務上の注意義務を怠つた責任を阻却することは出来ないと思料する。

以上の諸理由により被告人に自動車運転者としての業務上の注意義務の懈怠を認める根拠がないとして無罪を言渡した原判決は結局事実の認定を誤つたものと謂うべく右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄の上有罪の判決を求めるため控訴に及んだ次第である。

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